FUMIE

記事一覧(183)

一日の始まり

27歳でがんを告知された人に生じた心境の激変 「正直悔しい、でも感謝して精一杯生きたい」

2019年11月27日東洋経済の記事まさに同じ心境です。「怒り」も「悲しみ」も自分を守るために必要な感情27歳で進行性のスキルス胃がんになられた岡田拓也さん(仮名)は、「あなたの病気はがんで、根治することは難しい」と伝えられた時、これが現実に起きていることだとは信じられなかったそうです。目の前の先生の説明が自分のことを言っていると思えず、ドラマでも見ているのではないかという感覚を持ちました。またその後の記憶が飛んでしまい、家にどうやってたどり着いたか覚えていなかったそうです。がん告知を受けたときの衝撃の大きさは、ご自身がそのことをどれくらい想定されているかによって異なります。例えば、「そろそろお迎えが来そうだな」と思っている人ががんになった場合は、それほど動揺しないでしょう。一方で、自分ががんになることなど考えたこともなかった若い人の場合、大きなショックを受けます。拙著『もしも一年後、この世にいないとしたら。』でも触れていますが、人間は想定をはるかに超える衝撃的な出来事に出合うと、心の機能がバラバラになってしまい、目の前で起こっていることを認識はできても、それが現実とは思えなかったり、記憶に定着しなかったりということがあります。これを専門的には「解離状態」といい、がん告知に限らず、心のショックが大きかった場合にはよく経験される状態です。解離状態は、一気に激しい衝撃を受けることから心を守るために、必要な機能なのかもしれません。岡田さんは、家に帰った後も放心状態で、その日はほとんど眠れなかったそうです。しかし、朝方少しだけ眠ったのちに目覚めたときに、「ああ、やはり昨日の出来事は現実なんだ!」という実感とともに、激しい絶望感が一気に襲ってきました。岡田さんのように、解離状態を抜けて事実を認識すると、次に、怒りや悲しみといった感情が出てきます。怒りという感情は「不公平だ」とか「理不尽だ」と感じる出来事があると生じるもので、自分を守るために必要なものです。岡田さんは「27歳の自分は健康な生活を送って当然だ」と思っていたのに、大して悪いこともしていない自分が進行性のスキルス胃がんになってしまったことに納得がいかず、「なんで私がこんな目に合わなければならないんだ」という考えが頭から離れなかったそうです。岡田さんは激しい怒りを抑えきれず、叫んだり、物にあたったり、両親に八つ当たりをすることもありました。しかしいくらあがいても、現実は揺るぎなく目の前に立ちふさがり続けるので、怒るのにも疲れてきました。やがて怒りの感情が徐々に収まってくると、今度は悲しみで気持ちがいっぱいになりました。悲しみは「自分にとって大切なものを失った」ときに生じる感情で、心を癒やす働きがあります。岡田さんは、それまで描いていた希望に満ちた未来を諦めなければならないことを考えると、涙が止まらなかったそうです。岡田さんのように、大切なものを失った場合、喪失を受け入れるには時間とさまざまなプロセスが必要なのです。茫然自失となり起こったことがにわかには理解できない時期、取り乱して泣き叫んだり理不尽な現実に怒りがこみ上げたりする時期、失ったものに目を向けて涙が止まらない時期、人生とはそもそも平等ではないんだという現実を理解してしみじみ泣く時期など、さまざまな様相を呈しながら少しずつ向き合うようになると言われています(※ 参考文献:『Cancer Board Square』2019年4月号(医学書院)P172─176「人はなぜ悲しむのか?」清水 研、白波瀬丈一郎)。これを心理学の領域では「喪の仕事(mourning work)」と言いますが、こうした骨の折れるプロセスを経て、人はがんになる前に描いていた人生と徐々に別れを告げ、新たな現実に向けて歩みを始めると考えられています。想定してた「10年後」がないとしたら「今」何をするか1つ目の「喪失と向き合う」という課題が完全に終わることはありませんが、時間が経つ中で激しい負の感情が少しずつ様相を変え、「どうあがいても自分ががんになったという現実は変えられないんだ」という考えが出てきたとき、2つ目の課題への取り組みが始まります。岡田さんの場合、病気になられるまでの生き方はとてもストイックでした。岡田さんは金融機関に勤めていて、責任感が強く、与えられた役割を果たすために努力をいとわなかったそうです。周囲からはその能力を認められていましたし、近い将来は海外にも赴任したいと考えており、プライベートな時間は外国語の勉強に充てたり、体力づくりにジムに通ったりするような生活をしていました。友人も多くいましたが、交流の目的はやすらぎではなく、自分を高めるために刺激をくれるような友人との時間を大切にしていたそうです。つまり岡田さんにとって、「5年先、10年先、そしてさらに先にある未来の夢を実現すること」が人生の目的であり、そのためにあらゆる努力をいとわなかったわけです。岡田さんは、進行性のスキルス胃がんに罹患(りかん)したことによって、自分に間もなく「死」が訪れることを知りました。「描いていた未来の夢」は決してやってこないということを悟り、日々の努力の先に目標に据えていたものが見えなくなったのです。岡田さんは大混乱に陥り、生きる意味がわからなくなりました。そして岡田さんの中で新たな問いが生まれました。「10年先がないとしたら、人は何のために今を生きるのだろうか」最初は書店でさまざまな本を手に取ってみたそうですが、ほとんどの本が人間は長生きすることを前提に書かれており、むしろ気がめいってしまったそうです。そんな頃、岡田さんは私の元にカウンセリングを受けるためにいらっしゃいました。苦しくて苦しくて、いっそ死んでしまおうと思っていたところ、担当医からがん患者の心のケアをする医師がいることを教えてもらい、1度どんなものか話をしてみたいということでした。岡田さんは最初カウンセリングに対して半信半疑で、「あなたに私の気持ちがわかるのか」という疑いの目で私を見ているような様子でした。その背景には、自分より長生きできるであろう私をうらやむ気持ちがあったのかもしれません。最初は岡田さんと信頼関係を結べるか心もとなかったのですが、私は今までの一通りのいきさつを伺い、次のような私なりの理解を伝えました。「岡田さんは将来のために『今』を生きていたんですね。別の言葉で言うと、将来のために『今』を犠牲にしていた。だから『今』の生き方がわからない」そうすると岡田さんは「その通りだと思う。自分はどうしたらよいか、一緒に考えてほしい」とおっしゃいました。少し私に頼ってみようと思われたのかもしれません。そして、岡田さんが「様変わりした現実をどう生きたらよいのか」という課題に取り組むためのコーチのような役割を、私は引き受けることになったわけです。ショックなことを経験した後の心の変化「様変わりした現実とどう向き合ったらよいか」という2つ目の課題に取り組んだ先にはどのような世界があるのか。心理学領域における心的外傷後成長に関する研究から、その人の考えには5つの変化が生じうることが明らかになっています(※参考文献:『心的外傷後成長ハンドブック 耐え難い体験が人の心にもたらすもの』(Lawrence G.Calhoun / Richard G. Tedeschi 原著編集、宅 香菜子/清水 研 監訳、医学書院)それは、次の5つです。 ① 人生に対する感謝 ② 新たな視点(可能性) ③ 他者との関係の変化 ④ 人間としての強さ ⑤ 精神性的変容すべての人にこの5つの変化すべてが起きるわけではないのですが、それぞれの人の考えの変化の内容を注意深く見ていくと、この5つのうちのいくつかに当てはまることが多いです。この5つの変化について知ったことは、私自身の考え、生き方にも大きな影響を与えました。今自分がしがみついていることの中で、そのうち取るに足らなく見えるであろうことと、大切にしておかないと後々絶対に後悔するであろうことを、きちんと見分ける力が備わったように思います。まず、5つの変化の中で、多くの人に最初に生じる変化が「人生に対する感謝」です。がんになると、死を意識します。すると、「いつまで自分が生きられるんだろうか」という不安や恐れが生じますが、その裏返しとして、「実は今日一日を生きていることが当たり前のことではないんだ」という考えが出てきます。人間は、希少であるものに価値を置く習性があります。貴金属のゴールドも、そこらへんに転がっていたら、誰も見向きもしなくなるでしょう。同じように、時間が永遠に続くと錯覚していると一日を粗末にしてしまいがちですが、時間が限られているとすると、一日一日がとても貴重に思えてくるわけです。そして、「今日一日を生きられることに感謝したい」と思うようになる人もいます。 「最悪のくじ」でも引かないよりは引いてよかった岡田さんと2回目にお会いした時に、「病気になったことが悔しい。自分は病気になるまでは運がいい人間だと思っていたが、そうではない、最悪のくじを引いてしまったんだ」ということをおっしゃいました。私は、「なるほど『最悪のくじ』、そういう例えもあるのか」と思って聴いていました。私は自分の人生を恨んでいる岡田さんに対して、こんな言葉をかけてみました。「こんなことを言うと怒られるかもしれませんが」と前置きしたうえで、「あくまでも仮定の話ですが、くじを引かなかったほうがよかったですか」と尋ねました。岡田さんは「は?」と私の言った意味がにわかに理解できなかったようでしたので、「つまり、病気になる人生だったら、生まれてこないほうがよかったですか、ということです」と補足しました。岡田さんはしばらく考えていましたが、「いや、くじを引かなかったほうがいいとは思いませんね、うん、最悪のくじだとしても、引けたほうがいいかな」と答えられました。しばらく考えたのち、「『普通だったら、もっと生きられるはずだった』と考えると悔しくてしょうがない。しかし、自分がこの世の中に生まれてきたということもいろいろな偶然が重なって起きたことだとも思う」とおっしゃいました。岡田さんの絶望は大きかったですが、もともとの性格もあり、そこから物事をできるだけ前向きに捉えようともがいているようにも見えました。「正直悔しい、しかし、今生きられることに感謝して、精いっぱい生きたい」とおっしゃったのです。「健康」とはいつ失われるかわからないものである現在健康でいらっしゃる人にあえて伝えたいことがあります。みなさんも岡田さんのように突然がんの宣告をうけるかもしれませんし、あるいは事故や天災などに遭うことも絶対にないとは言えません。そのことに対する恐れで頭がいっぱいになってしまってもよくないですが、「健康はいつ失われるかわからないもの」であるし、「いつかは必ず失われるもの」という意識を心の片隅に持っていたいと私は思います。なぜなら、「今日健康で1日をすごせることはありがたいこと」という感謝の気持ちが芽生えるからです。家族や友人と楽しい時間をすごすこと、きれいな風景を見ること、おいしいご飯を食べること、これらは意識しないと当たり前のように通り過ぎていく時間かもしれませんが、こういう毎日がいつか失われるかもしれないと思うと、とってもいとおしく思えてくるわけです。この考えは古代ローマ人の「メメント・モリ(死を思え)」という教えともつながります。清水 研 (しみず けん)Ken Shimizu精神科医、医学博士1971年生まれ。金沢大学卒業後、都立荏原病院での内科研修、国立精神・神経センター武蔵病院、都立豊島病院での一般精神科研修を経て、2003年、国立がんセンター東病院精神腫瘍科レジデント。以降一貫してがん患者およびその家族の診療を担当している。2006年、国立がんセンター(現:国立がん研究センター)中央病院精神腫瘍科勤務となる。現在、同病院精神腫瘍科長。日本総合病院精神医学会専門医・指導医。日本精神神経学会専門医・指導医。

友達から言われたこと